マレーシア
今日の僕がこんなにワクワクした気持ちで毎日を過ごしていること、
そしてこんなサイトをつくってメッセージしようとしていること、

そんなこと、以前の僕には想像も、妄想もすることはありませんでした。

夢に出てくることすら、ない。

20代半ばにさしかかった僕にはもともと海外の「か」の字もなく、
日本で暮らすのに英語なんてまずいらないと思っていて、

でも将来に関してはたっぷり不安や焦りがあって、
とりあえず目の前の現状と情報でやりくりしてくしかないのかなというだけ・・・

運転が好きなので某宅配会社のセールスドライバーをやっていました。
激務オブ激務でしたが。

そんな激務の日々を繰り返しながら、2011年、3.11の震災。
その壊滅的な結果と社会混乱のなかで、命や人生の意味を問うていました。

瓦礫撤去整理の活動協力のため、福島県南相馬市へ訪問したことがあります。現実とは思えない、まるで映画のなかにいるかのようで、息が震え、心が無性に騒いで涙を流したことを憶えています。

そこから東京に戻り、なんともいえないギャップを感じて混乱し、なぜかその後体調を崩してしまいます。
それが人生で初めてのうつ病症状でした。
(現在うつ病の疑いがある方は、なにか行動するまえに、まずは専門家の診察を受けてください)

仕事を続けることもままならなくなり、精神科へ。
体調が回復するまで数カ月がかかったのですが、そのとき担当の医師から「一度、海外にでも行ってみてはどうか?」と僕にさり気ない一言。

いつか海外にでてみなさい」は、亡くなった叔父からも昔いわれたことがあったのです。このとき改めて胸に留まり、僕は人生初めての海外デビューをすることに決めたのです(2012年)。

25歳の段階で、飛行機は国内線に一度だけ、もちろんパスポートなんて持ってないし、英語??「ハロー」と「マイネームイズ…」くらいしかわかりません状態です。
なにもわからないので、有名そうな留学エージェントに連絡して、いわれるがまま手数料を支払い、オーストラリアのシドニーへワーキングホリデーに飛ぶことになりました。

→ワーキングホリデーとは?(Wiki引用)

ネットでいろいろ観てるうちに、ネガティヴな言葉も目にとまります。
留学で人生を棒に振る人
時間とお金の無駄
英語できる人なんていくらでもいる
などなど・・・

しかし結果的には、僕にとってそういった感想すべてが真逆になったのです。

けれど、それはそれは不安で、渡航当日なんか飛行機の出発4時間前に出発ゲートにいましたからね。

オーストラリア到着後はお金を払ったエージェントの日本人スタッフが迎えてくれ、滞在予定(ホームステイ)のオーストラリア人夫婦の家まで送ってくれました。

→ホームステイとは?(Wiki引用)

送ってくれたのですが、荷物と僕をその夫婦の前に送り届け、すぐに行ってしまいます。

ブーーーン

夫婦に全力で挨拶し、そこからそのお父さんが学校の行き方やインフラの利用方法を教えてくれます。
本当に申し訳ないんですが、何言ってるかサッパリで、もう笑顔でYes!Yes!言うしか、ない

とりあえず、信じられないくらい優しくてフレンドリーな夫婦と異国の新鮮さがたまりませんでした。
ついに、ここは日本ではないんだと。

ここでは割愛しますが、到着翌日からトラブルの連続です、お父さんの説明を理解せずにYes!Yes!で済ませてたツケですね。

どんなトラブルを体験したかは、いつか僕に直接聞いてみてください。
きっと楽しい話ができると思います。
ホームステイ
現地の学校で4カ月英語を学びました。
毎日めちゃくちゃ勉強しました、プライベートを一緒に過ごすような外国人の友人はほとんどが韓国人でした。

一緒に過ごすといえども、そのときの僕たちお互いの英語レベルでは伝えたいことがなかなか伝わらなくて、紙に書いてみせたり、メールで送るのが一番理解してもらえたり、そんな状態。

紙に書いてでしか伝わらなかったのが、じきに言葉で伝わるようになり、また、相手の言うことも徐々にわかるようになってきます。
飲食店などで店員さんに通じたり、英語をちょっと長めに言えるとうれしい。
毎日、ハンバーガーとかフィッシュアンドチップスとか欧米食をたべることがほとんどでしたね。

4か月を過ぎて、やっと雇ってもらえたのは日本食レストランの厨房スタッフ
ここからは、ホームステイを出てシェアハウスの一室で一人暮らしをスタート。
家賃は1カ月で当時8万5千円くらいだったでしょうか、リゾート地でもあるのでとっても高いです。-Manly Beach-

仕事以外でも毎日英語を勉強するのだけど、なかなか思うようには伸びず、でもいつのまにかこの仕事がきっかけで料理好きにもなっていました
なんの持ち物もなく不器用な僕のことをいつも面白おかしく励まし続けてくれたその当時のレストランオーナーには今も心から感謝しています。

ワーキングホリデーは基本的に1年間で終わりになります。
進路を考えるうえで、どうしても続けていきたいことがありました。

それは、英語です。

英語を話せたら、もっと知らない国の人たちと会話ができる、まだまだ触れていない文化や新常識をインプットすることができる。

1年のオーストラリアワーキングホリデーから帰国した時には、もう次に行ってみたい国が決まっていました。

マレーシアです!

オーストラリアよりも授業料も物価も断然安くて、多文化多民族国家、世界中から人が集まる東南アジアの南国!!

ワーキングホリデーの経験があってか、マレーシアの語学学校では中級程度(Intermediate)からのスタートになりました。初めてのクラスの講師は、アメリカ人とイラン人。
ほかにも色々な国籍の講師がいます。

6カ月の受講で、僕の英語レベルはIELTS6.0に到達。
語学に限らず、マレーシア留学全般のマーケティングや現地サポートを約6年間経験しました。
EMS
コロナショックが起きるまで・・・

けれど、このマレーシア生活に出会ったヒト・モノたちのチカラが本当にすごいのです。
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